※この物語はnote『月夜の音』の続編です。
私は、生きた。セイがいなくなったあとも。
村へ戻り、何年か経って、同じ村の人と結婚した。
好きだったのかと聞かれたら、たぶん違う。でも、優しい人だった。子供も生まれた。小さな手で私の指を握ったとき、私は泣いた。あの人を思い出したからではない。この子が愛しかったからだ。
それから私は母になり、やがて祖母になった。たくさん笑った。腹を立てた。泣いた。セイのことを思い出さない日だって、いつしか増えていった。それでも。
水面から光が落ちてくる朝だけは、どうしても空を見た。
*
長い時間が過ぎた。私はもうすぐ死ぬ。怖くはなかった。ずっと、どこかで思っていたから。死んだら、セイに会える。あの日。私が海へ戻り、セイだけを残してきたあの場所で。きっと待っている。そう思っていた。だから目を閉じた。
なのに。
――セイはいなかった。
*
私は朽ちて、小さな生き物に食べられた。気がつけば、自分がどこにいるのかも分からなくなった。
ただ、水の中にいた。
長い時間を流された。川へ入った。魚の身体を通ったこともあった。また水へ戻った。太陽に温められた。身体が軽くなった。
気づけば私は、空にいた。
雲になっていた。
変なの。
生きていたころ、あんなに怖かった場所なのに。水面の向こうは、何も怖くなかった。セイ。あなたが見たがっていた場所だよ。私はようやく来たよ。
*
雨が降った。私は一粒の雨になって、地上へ落ちた。
それから何度も、空と水を行き来した。
それでもセイはいなかった。
やっぱり、死んだからって会えるわけじゃないんだ。
少しだけ、寂しかった。
その日も雨だった。
私は海のそばに落ちた。
小さな水たまりに、ぽつん、と。そのすぐ隣へ。もう一粒。雨が落ちた。ただの水だった。私も、ただの水だった。顔もない。声もない。手もない。それなのに。分かった。
どうして分かったのかなんて、知らない。でも。分かった。
――セイ。
やっと会えた。
二つの雨粒の境目が、ゆっくり消えていった。
どちらが私で。
どちらがセイなのか。
もう分からなくなった。それでよかった。
生きていたころ。私は触れることで、あなたを傷つけた。だから最後には、触れることさえ怖くなった。なのに今は。もう、離れる理由がない。
水たまりから細い流れが生まれた。
私たちは一緒に流れていく。
川へ。そして、海へ。
ああ。そうだったんだ。海と世界は、ずっと繋がっていた。水面の向こうも。私の村も。あの時計塔も。あなたが眠った遠い浜辺も。全部。同じ水の中にあった。
ねえ、セイ。
今日の光は、何色に見える?
返事はなかった。代わりに、雨が降っていた。
ぽつん。
ぽつん。
静かな、月夜の音がしていた。
